mimigah’s diary

明日に幸あれ

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バイトの理由

以前ブログにも書きましたが、依頼があるときだけスリランカ人の方のところでバイトをしています。

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そのモハマドさんが3か月ほど祖国へ帰っていたのでしばらくごぶさたしていました。

その後仕事の依頼はたまにしか来ていません。

生活維持のため新たなバイトを探していた私は、たまたま声がかかり6月から夫の務める会社で週末だけ働くことになりました。

 

夫は自動車整備士ですが、若い人が辞めてしまったのと年配の方の定年退職が重なり、突然ひとりぼっちになってしまったのです。

会社はだいぶ前から求人募集をしていますが、整備士不足のせいもあるのかなかなか応募はありません。

 

なので夫の希望もあり会社に伝えてもらうと、むしろお願いしたいと週末だけ働くことになりました。

週末と言っても体がもたないので、本業が休みの土日どちらか、あるいは祝日とかです。

 

私がいない平日、夫は修理・整備などの作業はもちろんの事、接客、電話応対、請求書作成や入力業務など全て一人で行っているため作業が捗らないことも結構あるそうです。

些細なこともたったひとりだと負担になるものです。

 

展示場のある本部からは少し離れているので、工場は孤立してしまっています。

私にできることは限られますが、週末だけでも居ると助かるそうですし、少し収入が増えたので体はきついのですが、しばらくは続けようと思っています。

それが心の安定につながるので、今は家にいるよりいいです。

 

工場の方の事務員さんも募集しているのですが、かと言って夫の会社へ就職しようとは思っていません。

それはまた話が別で。

一応本業は嫌々ですが続けているので、何とか給料がきちんとした固定給になるまでは悔しいので頑張ってみようかと思っています。

収入が安定していたなら、バイトなんて考えなかったと思います。

私の勤め先、いまどき副業禁止なんです。

生活できるほどの給与も払わずにふざけるな!と思いますが。

ばれたらばれたらでいいかな。

 

バイトを続ける理由がもうひとつあります。

引きこもりだった長男がようやく社会復帰でき、バイトを始めたのが1年ちょっと前。

 

最初はリハビリ程度でいいよと見守っていましたが、次第に仕事に対し責任感さえ感じられるようになった長男を見て、こちらが安心できるまでになっていました。

あの地獄のような日々を思い出すと今でも胸が苦しくなるときがあります。

よくここまで来てくれたなと。

 

8月の最終日、いつものように長男は出勤しましたが、すぐに家へ帰ったそうです。

もぬけの殻?っていうんですかね、誰もいない、何もない。

社長の夜逃げです。

給料が遅れがちなのは聞いていましたが、長男に聞くと最後に給料をもらったのが5月だと言います。

長男は何度社長に言っても聞いてくれないから面倒くさくなってもう言わなかったと。

遅れてでも貰えると、どこかで信用していたと思います。

結局3か月ただ働きという事実。

怒りで動悸がします。

そもそも私が紹介したので責任も感じています。

20年来の信用できる友人でした。

私自身もショックでした。

 

その後本人を労働基準監督署へ行かせたり、知り合いに電話かけて聞きまわったり、

会社が借りていた所の大家さん、社長の家、社長の別れた嫁の実家などへ足を運びました。

絶対とっ捕まえてやろうと色々手は尽くしましたが、今はもうやりようがないです。

全く有力な情報はありません。

ラインも既読が付かないし、電話も電源が入ることはありません。

知っているのは、福島出身で向こうには仲間が居る、実家の家族は皆亡くなってるということだけです。

それだけの情報でここ千葉県から追っかけていくわけにもいきません。

福島へ帰ったのかも分かりません。

 

長男の生活や支払い関係も大変なのですが、裏切られた絶望感は大きく、心に傷を負っています。

食欲が無いようで、またこもりがちになってきてしまいました。

 

会社は経営が行き詰まり、うまくいってなかったようです。

自宅が抵当に入ってると、元嫁さんの実家を訪れたときにそれを聞きました。

個人の小さな会社なので従業員は2名だけ。

もう一人の方も行方が分からいないと言っていたそうですが、その方は日払いだったため、給与は頂いていたそうです。

長男の気持ちを思うと、払えないにしても会社を畳むにしても、ただひとこと言って欲しかったです。

急に黙って消えるなんて卑怯すぎます。

そして今、出てきてきちんと謝って欲しいです。

 

長男が気持ちを切り替えて前へ進めるようになるまで、また見守りと応援の日々になります。

みんなが元気で笑顔でいられたらいい、穏やかに暮らせたらいいって望んでるだけなのに、簡単ではないんですね。

今日は有給

久しぶりのブログ更新が前向きでないのが許せなくて、なかなか向かえずにここまで来てしまいました。

それでも少し気持ちを吐き出したくて、書くことにしました。

 

今の会社へ入社してから早10か月が過ぎましたが、いまだに求人募集のチェックだけは欠かしません。

実際に面接を受けたりもしました。

今の場所でずっと頑張っていくしかないんだという気持ちもあれば、一日でも早く辞めたいという強い気持ちもあり、傍から見ればわがままにしか見えないかもしれませんが、ずっとそんな状態が続いています。

今の会社へ入ったころから好きだったことがなぜかどうでもよくなり、人に対する関心なども薄れてしまったことに気が付きました。

何に対してもやる気が起きず、毎日を仕方なく過ごしてきました。

食欲もありません。

大半の時間を会社の仲間と過ごさなければならないのに、全くと言っていいほど周りに溶け込めずにいます。

いけないと思いながら、そのうち辞めるからそれで構わないと考えてしまいます。

仕事中、早く帰りたい帰りたいと毎日思うのっておかしいと思います。

変わらず日給月給のままで生活は厳しく、週末はしっかりバイトをしているので1週間が長くて辛いです。

休まないと人はおかしくなります。

毎朝の3人分の弁当作りと夕飯の買いもの、休みもなかなか無く、でも意識して考えると辛いのでロボットのように事務的にこなすようにしています。

疲れてくると、メニューも頭に浮かばなくなってきます。

 

思い描いた生活から程遠いですが、踏ん張り時だと今は辛抱するしかありません。

いろいろと、諦めてはいないんです。

長い人生いろんな時があるので。

今日は残り少ない有休を申請していました。

朝一健康診断のためだけに会社へ行き、午前中には家に戻れました。

台風13号が接近し外は大荒れなので、全身ずぶ濡れになりました。

今はホットコーヒーに癒されています。

子供たちも家にいます。

高2の次男は文化祭でしたが中止となりました。

夏休みも嫌々でしたが準備のために何度か学校に通ったのに、気の毒です。

今月末には修学旅行で沖縄に行くので、さすがに台風来ないでくれと願うばかりです。

 

私は久しぶりにサボりたいので、コンビニでお昼を買ってきました。

今日は少しだけ休みます・・・

大雨の音が今日は心地いい。

 

 

仕事のやりがいって

本業にモヤモヤしている私、自分が仕事で会社に貢献できてるのか不安な毎日。

そんな私でも、少しだけやりがいと自信を持てることがあります。

 

前回のブログで触れましたが、2月ころから土日のどちらかにバイトをしています。

毎週ではないのですが、連絡が来ればふらっと行くという緩いかんじですが。

 

知り合いに紹介されたバイト先の社長はスリランカ国籍のモハマドさんです。

いつもそんな呼び方をしませんが、モハマドとつく人が多いのであえてそう表記したいと思います。

 

彼は10年ほど前から日本で自動車や重機等の売買や輸出に関わる仕事をしています。

同じ国籍の奥さんと3歳の娘さんがいます。

従業員も何名かおり、多くは家族を連れて日本へ来た人や祖国に大切な人を残してきた人達です。

会社は隣町にあり、ここには外国人(特にスリランカ人)が多く住んでいます。

空港が近いせいもあるかもしれません。

 

私の仕事は、彼らが売買した自動車の名義変更や廃車手続き、自賠責保険の異動手続きなどの書類作成です。

意外なことにここまでやってきて、きちんとした売買契約書のようなものがないことを知り、急遽作成したりもしました。(分かるように英訳付きで)

それまでは書類関係など全て専門業者へ頼んでいたため、月に数万円程支払っていたそうです。

 

他に、郵便物や学校関係のおたよりなどを読んで説明してあげたり、お子さんの水筒やタオルなどの持ち物にカタカナで記名してあげたりと、何かと言葉の面で不自由しているので、フォローできる事はしています。

 

社長のモハマドさんは日本語での会話は達者なのですが、読み書きが全くできません。

日本へ帰化したいそうですが、条件の中のひとつに日本語の理解力なども含まれるため簡単ではないようです。

だいたいですが小学3年生ほどのレベルの読み書きが求められるそうです。

そのうちお子さんと一緒に勉強できれば叶うのではないかと思っていますが。

 

時々残してきた母親をこちらへ呼んだり、自分も祖国へ帰ったり行き来はしているようです。(父親は病気で亡くなったそう)

 

聞いたわけではないですが、母親や身内などに仕送りをしているようです。

じゅうぶん向こうでは豊かに暮らしていけるのではないでしょうか。

物価が日本と比べ3分の1以下と聞きますし、100円でお腹いっぱいになるほど、食費に関してはあまりお金はかからないらしいです。

 

3月の下旬から1ヶ月間は彼らにとって最も大切なラマダン(断食)の期間でした。

イスラム教の彼らは1ヶ月間、日の出から日没まで飲み食いできません。

もちろん水もです。

朝は暗い内から起きているそうで日中よくあくびをしていました。

おしゃべりすると喉が渇いてしまうからなのか、その時はふだんより物静かでした。

 

ラマダン明けは盛大なお祭りがあるらしく、落ち着いたら連絡すると言われました。

たぶん日本でいうお正月じゃないけど、それくらいおめでたい感じなのかと勝手に想像しています。

 

彼らを見てると、その強い信仰心や、言葉も分からない異国の地で生きてきた逞しさにふと、自分の小さなクヨクヨがあほらしいと思える瞬間があります。

なんというか、生き方がとてもシンプルです。

そして物怖じしない。

あと国民性なのか、穏やかでマイペースです。(ルーズなときもある)

そして家族を大事にし、遊び事をしません。

私は彼らのことをまだよく知らないかもしれませんが、それにしても考えや文化の違う人と関わることは、少なからず学ぶところはあります。

 

ひな祭りの後のことです。

モハマドさんには娘がいるので、「ひなまつり知ってる?」と聞いてみました。

そんな風習を知らなかったらしく、わかる範囲で説明すると興味津々に聞いていました。

寺や神社へ行くのか?

どこで何を食べるのか?

人形はどんなものなのか等々。

また5月5日のこどもの日のこともついでに説明しました。

空を泳ぐあの魚の正体をはじめて知ったようです。

 

10年経つとはいえ、頼れる日本人がそういるわけでもなく、必死で暮らしてきた彼らにはそんな話を知る機会も教える人もなかったのではないでしょうか。

 

まだ30歳ちょっとの彼はこれからもっと日本を知り、もっと好きになっていけるのではないかと思うし、そうなって欲しいです。

 

彼らと出会い一緒に仕事をし、ある意味本業よりやりがいを感じることがあります。

誰かの役に立てる事を実感できるのは素直に嬉しいです。

必要とされることは人として嬉しいです。

やりがいってこういう事なのかな。

 

お金の面では今後も期待はできませんが、それはまぁ、いいかなと思います。

これからも必要とされれば、力になりたいです。

それは私自身のためでもあるので。

 

 

 

 

 

久々のブログ更新

最後のブログ更新から気付けば4ヶ月が経とうとしています。

皆さんのブログは読んでいました。

 

時間だけが自分の横を通り過ぎていくような感覚で過ごしていました。

 

さて、新しい職場ですが間も無く入社から半年になります。

いまいち馴染めないというか、自分には会社自体が合わない気がして、悶々とした気持ちのまま毎日が過ぎていました。

 

それでも幸いなことに仕事は忙しいので就業時間が短く感じられます。

一週間が早いです。

充実してると言えばそう。

仕事中は全く余裕がないです。

いつまでたっても業務内容が複雑というか、新人教育らしいこともなかったので、そもそもの意味が分からないことが多いです。

 

どんな仕事においても言えますが、どこかに面白みややりがいを見つけられないと辛いですよね。

今そんな状況です。

 

周りの社員さん達は長く勤めてる人が多く、物事を分かっている体で話をします。

質問しようにも皆忙しそうで、躊躇してしまいます。

 

私ははだいぶ久しぶりの新人だったようです。

皆長いこと勤めてて、仲はとても良さそうに見えます。

私はいまだに特別おしゃべりする人はいません。

別に誰かと仲良しこよしになろうとか思っていませんが、少しだけ寂しさはあります。

 

そして問題は他にも。

かつてないほど給料が少ないこと。

私の会社は始めの1ヶ月はアルバイト扱い、翌月からは準社員、その後入社試験を経て正社員なんです。

準社員も正社員と同等の待遇ですが、給料が日給月給のために、祝日が多い月は嬉しいのですがその分収入が安定しません。

 

年に2回ある正社員試験ですが、私の場合タイミング的に1年後になってしまうので、しばらくは辛抱しなければいけません。

とはいえ、ジッとしてるわけにもいかず、今は週末バイトをしています。

 

今年の目標に副業と掲げたのですが、これは私の考えていた副業とは違います。

とりあえず生活を立て直し、維持するためのものでしかありません。

 

心がざわつく原因はそんなところです。

年齢というハンデを負っての入社だったわけで、まだまだ覚えることはたくさんあります。

逃げ出すわけにはいかないので、知り合いが2度ほど会社を紹介してくれましたが、お断りしました。

本当は飛びつきたかったけれど、そんなことばかり繰り返しても意味がないと思いました。

ここで頑張ってみようと今は思っています。

 

入社当初よりはもちろんいろいろとできることは増えました。

近況を振り返れるのも、少し気持ちに余裕ができたからだと思っています。

 

4月から2名女性が新入社員として入社してきました。

とても初々しく見えます。

明るい未来がある、そんなオーラを感じます。

自分のあの時の切羽詰まった感じとはまるで違うななんて思っていました。

そしてあまり緊張感が感じられません。(堂々としている)

緊張のあまりあんなに吐き気に悩まされた自分が情けないです。

 

中途採用の自分とは違いしっかり新人研修もありますし、すべての課を一通り周り、適性を見てから配属されるようです。

 

踏ん張ってきたかいがあったといつか思える時が来ると信じて、今は自分を励ます毎日です。

自分の良さが出せていないのは分かっているので、これからも努力を重ねて少しずつ自信をつけていきたいです。

 

ここまで読み進んでいただき有難うございました。

 

 

それぞれの「決断」と私の「挑戦」

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

ふと考えていたことがちょうどはてなブログのお題になっていましたので、お題に乗り大晦日の今日記事を書いています。

 

職場での大掛かりな棚卸を終え、初めての経験にかなり疲れてしまいましたが、昨日からようやく年末休みに突入しました。

年越しそばの準備ももう済んでいます。

今夜は紅白歌合戦を見ながら、家族みんなで蕎麦をすすりたいと思います。

 

わが家は夫と私と息子2人、そして離れに夫の母親が住む、田舎ではよくある感じの家庭です。

都内で暮らす娘は仕事が忙しくて、休めないので今年も帰省はできないと言っていました。

去年はコロナに罹りやはり帰省できず、一昨年は確かお尻にデキモノができて痛くて帰れないとかでした。

 

フリーで仕事をしているので、無理して詰め込んでやしないかと心配になることもあります。

仕事が尽きないのは有り難いことだとは思いますが。

 

わが家の2022年をひとことで表すと、それぞれが「決断」の年でありました。

 

夫はといいますと、年明け早々体調不良から緊急入院し腎不全の診断を受け、人工透析などの治療を行い退院まで1か月近くかかってしまいました。

そこからタバコも暴飲暴食も止め、健康管理にかなり気をつかうようになりました。

今では体重管理もきちんとできていて、ピーク時より20kgほど少ない体重を維持できています。

治ることはないのですが、これ以上進行しないように病気と向きあい闘っています。

食べることが何より好きで、食に対してはかなり貪欲な人なので辛いことは確かです。

 

そして長男は7月に社会復帰という大きな決断をしました。

2年近くの引きこもりからの脱出でした。

ひとり暗い部屋の中にこもり、家族さえ断絶していたあの頃が信じられらないくらい、今はよく笑顔を向けてくれます。

もう不安はないと言ったらうそですが、あの時の彼の勇気には逆にこちらが励まされました。

言い方は悪いですが、私にとってはあれは悪夢のような日々でした。

それでも本人にとっては決して無駄ではなく、必要な期間だったと今は思っています。

 

そして次男は高校受験でした。

新しい学校生活やクラスの友人関係に悩みながらも、自分の人生を見つめ大学進学の意思を伝えてきました。

最近次男は私と二人きりになると悩みや不満をよく口にします。

今まであまり本心を言わないと思っていたので、よほど辛いのでしょう。

答えの見つからない問題を常に抱えてしまってるような、苦しんでいる様子を最近はよく目にします。

直接解決してあげることはできませんが、話すことで少し落ち着くこともありますし、目に涙を浮かべていることも時々あります。

私は私の考えと、私がしてあげられることを伝えるくらいしかできません。

それでも自分の中で一生懸命闘っているのがよく分かります。

変えなければいけないのは自分自身だということに、本当は気付いているのかもしれません。

 

そして私は、自分の生活を見直すための第一歩として、転職をしました。

年齢的にも気持ちの上でも勇気のいることでしたが、まずはやっと自分のベースとなる居場所を見つけられたような気がしています。

ここにたどり着くまでがちょっと大変でした。

けれどそこは決して目的地ではなく通過点だと考えています。

今、心に余裕のある自分を取り戻しました。

 

そして2023年私のやりたいこと・・・それは副業です。

ひとことで副業といっても様々です。

今ではあまり珍しいことではなくなりましたね。

しかし私にとってはかなりハードルが高めです。

でもずっとやりたいと漠然と考えてはいました。

何をやるか実はまだ具体的なことは決めていないのですが、まず小さなことから始めようと、自分の中で温めている段階です。

失敗するかもしれないし、できないままになってしまう恐れもありますが、チャレンジする気持ちは忘れたくありません。

 

私は家族を守り、みんなの励みになれるような存在にならなくてはいけません。

自分のことをまだまだ未熟だと思いますが、自分なりの挑戦の年にできたらいいです。

 

2023年が皆様にとっても、幸せな年でありますように・・・。

 

 

サンタさんへの手紙

今年はクリスマスがちょうど週末と重なり、より盛り上がった方も多いのではないでしょうか。

我が家はどうかと言いますと、ツリーもプレゼントもないですし、クリスマスらしいものは全くありません。

昨日の朝、LINEの画面で雪がちらついているのを見て、「あら、画面変わったのね・・・」なんて見つめていましたが、そうかクリスマスか!って。

それくらいでした。

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娘がまだ家にでもいれば、それらしいことをしたかもしれません。

でも今は逆にいつも通りに過ごせるので正直そのほうがいいです。

もう十分役目は果たしてきましたから。

 

昨日は予約していた美容院に行き、その後チキンとケーキくらい買って帰ろうと思い、イオンモール成田に行きました。

無計画にふらっと寄ったのですが、給料日後のクリスマスだったせいか?買い物客でかなりごった返していました。

人込みは苦手なので、目的のものを買い早々に店を出ました。

 

子供たちが小さいうちの年末イベントは、お金も準備もなにかと大変でしたが、ツリーを一緒に飾り付けたり、子供とワクワクした記憶が蘇ります。

 

 

わが家の末っ子次男の話なのですが、小学校6年生までサンタさんの存在をちゃんと信じていました。

 

本人が気付くまでは、と思っていましたが、中学生になりようやく現実を知ったようでした。(純粋)

歳の離れた姉と兄は黙っててくれたんですね。

 

友達同士の間で何となく知っていったのでしょうけれど、どんな気持ちだったのか。

そのあたりの話には触れたことはないですが複雑だったかもしれません。

そうやって徐々に大人になっていくんですね。

でもサンタさんを信じていた自分を忘れないでほしいなとも思いました。

 

子供は、サンタさんが希望のプレゼントを届けてくれると信じています。

それが叶わなかったらやはりかわいそうですし、親としてもしっかりサンタの任務を果たさなくてはいけません。

何より子供をがっかりさせたくないのと、喜ぶ顔が見たい。

ですから早ければ11月ころから、さりげなく欲しいものを聞き出してみたり、サンタさんも準備があるだろうし、早めに手紙を書いたらどうかと促したりしたものです。

 

そしてAmazonから荷物が届くと、バレないように細心の注意を払いました。

「パパの荷物が届いたみたい。」とか言って玄関の靴箱にしまい当日まで次男の手の届かない高い所にしまっておいたり。

 

イブの夜には、ソワソワしてなかなか寝つけない我が子に「起きてる子のところにサンタさんは来ないよ!」なんて言って、寝ついたのを確認してから枕元にそーっと置きました。

袋のガサガサ音にドキドキしながら。

 

子供が朝目覚めてプレゼントに気付いた時のあの喜びの表情といったら!

結局その顔が見たかったのかもしれません。

 

きっと多くの親御サンタはそうやってクリスマスを迎えられるのではないでしょうか。

思い返すと親子の素敵なイベントでした。(親の驕りと思えないわけでもないけれど)

 

 

今年の年末は、少しずつ収納の整理や大掃除を始めているのですが、その中に次男が小学校3年か4年の時にサンタさんに宛てて書いた手紙が出てきました。

 

懐かしくて、可愛くて写真を撮りました。

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商品のリクエストが明確で分かりやすいです。

そしていつになく丁寧な言葉遣いと、サンタさんへの励ましの言葉もあります。

思いやりを感じる文章に、思わず顔がほころんでしまいました。

ポケモンカードに夢中だったころです。

確実に手に入れたい強い思いも読み取れます。

掃除中クローゼットから出てきたこの手紙にほっこりしながら、幸せな気持ちになりました。

 

みなさんはどのようなクリスマスを過ごされましたか。

 

変わらないもの

先日6年ぶりに埼玉の実家へ行ってきました。

そんなに経っていたなんて、少し驚きでした。

近くもないですが、行こうと思えば普通に行ける距離です。

ですが兄の家族のことを考えると、お邪魔するのはなるべく遠慮してしまいます。

かといって向こうには逢いたい友達も今はいないのでつい遠のいてしまい、よほどの目的がないと行くことはなくなりました。

 

なので母の三回忌以来です。

七回忌はコロナで見合わせましたので。

 

兄に「新米を取りに来てね。」と言ってあったのですが、今年はなかなか来られませんでした。

うちは農家ではないのですが、田畑を貸しているので年貢米が届きます。

食べ切れないのでそれを身内におすそわけしています。

 

兄は出張が多い仕事で、千葉方面に来るときは時々立ち寄ってくれるのですが、最近は長野や新潟方面が多いようでこちらにはめっきり来なくなりました。

 

夫が「もう新米じゃなくなっちゃったけど米届けようよ。」と珍しく休みをとってくれたので、急遽行くことにしました。

兄夫婦もたまたま休みが重なったのでちょうど良かったし、夫に感謝です。

 

両親のお墓にも長いこと手を合わせていないので行きたいと思っていました。

ついでのお墓参りはしたくないので「米がついでだからね、メインはお墓ね」と夫に念押しして出かけました。

 

寄り道しながら3時間ほどで到着。

「しばらくぶりだね。」と父と母に心の中で言いました。

 

なんとなく気持ちがスッキリしました。

こういうことは、連続する日常の区切りにもなります。

少しだけ立ち止まって故人を想い、家族や兄弟の大切さを改めて感じたり、感謝する気持ちになれたりします。

疎かにしてはいけないですね。

 

その足で久しぶりに兄夫婦と昼食を食べに行きました。

訪れるたびに新しい店ができ、様変わりする故郷の街並みですが、逆に子供の頃から変わらないものが目につくと嬉しくなります。

 

兄の住む実家は新たに建てた家なので、私の育った家ではないのですが、昔父が気に入って買った家具や、母が使っていた調理器具や食器類などがいくつも残っています。

なかなか年季が入っています。

それらはなぜか不思議な存在感があります。

そして囲まれてると安心するのです。

 

実家から歩いて5分ほどのところに私の通っていた小学校があります。

学校の脇を通ってみると、校舎から外に出る古い渡り廊下が見えました。

あれから40年くらい経ってるのに、そこは全く変わらずあの日のままの状態で、なんだか嬉しくなりました。

北の端っこの冬は寒くて薄暗い場所なんですが、なぜかこの場所がお気に入りで友達とよく遊んてまいました。

その渡り廊下の両脇の壁に隙間があるのですが、ヤンチャな男子が頭を入れ、抜けなくなってしまい大騒ぎになった事件があったのを思い出しました。

通り抜けられると思ったのでしょう。

 

今あの子はどうしてるのだろう。

 

それから、兄がサイボクに連れて行ってくれました。

埼玉県の日高市にあるサイボクは埼玉種畜牧場の略です。

子供の頃家族とよく行った場所です。

買い物が終わると外で焼いて売っているフランクフルトを食べるのが楽しみでした。

 

www.saiboku.co.jp

 

今は豚肉オンリーだった昔とは違い、店も増えて地元の狭山茶をはじめ野菜や果物、パンや干物まで売っていて、遊ぶところもあり温泉も入れて、ちょっとしたレジャー施設のようです。

買ったものはその場で全国発送ができるようになっています。

値段もそれなりにお高めですが、肉も加工品もひと味違います。

昔と変わらぬ美味しさ!

特にウィンナーは種類豊富でどれも美味しい。

 

お米と引き換えにお土産を買ってもらっちゃいました(o^^o)

(大好きなミミガーもあります)

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たまの故郷やっぱりいいな。

変わらないものってやっぱりいいな。