以前ブログにも書きましたが、依頼があるときだけスリランカ人の方のところでバイトをしています。
そのモハマドさんが3か月ほど祖国へ帰っていたのでしばらくごぶさたしていました。
その後仕事の依頼はたまにしか来ていません。
生活維持のため新たなバイトを探していた私は、たまたま声がかかり6月から夫の務める会社で週末だけ働くことになりました。
夫は自動車整備士ですが、若い人が辞めてしまったのと年配の方の定年退職が重なり、突然ひとりぼっちになってしまったのです。
会社はだいぶ前から求人募集をしていますが、整備士不足のせいもあるのかなかなか応募はありません。
なので夫の希望もあり会社に伝えてもらうと、むしろお願いしたいと週末だけ働くことになりました。
週末と言っても体がもたないので、本業が休みの土日どちらか、あるいは祝日とかです。
私がいない平日、夫は修理・整備などの作業はもちろんの事、接客、電話応対、請求書作成や入力業務など全て一人で行っているため作業が捗らないことも結構あるそうです。
些細なこともたったひとりだと負担になるものです。
展示場のある本部からは少し離れているので、工場は孤立してしまっています。
私にできることは限られますが、週末だけでも居ると助かるそうですし、少し収入が増えたので体はきついのですが、しばらくは続けようと思っています。
それが心の安定につながるので、今は家にいるよりいいです。
工場の方の事務員さんも募集しているのですが、かと言って夫の会社へ就職しようとは思っていません。
それはまた話が別で。
一応本業は嫌々ですが続けているので、何とか給料がきちんとした固定給になるまでは悔しいので頑張ってみようかと思っています。
収入が安定していたなら、バイトなんて考えなかったと思います。
私の勤め先、いまどき副業禁止なんです。
生活できるほどの給与も払わずにふざけるな!と思いますが。
ばれたらばれたらでいいかな。
バイトを続ける理由がもうひとつあります。
引きこもりだった長男がようやく社会復帰でき、バイトを始めたのが1年ちょっと前。
最初はリハビリ程度でいいよと見守っていましたが、次第に仕事に対し責任感さえ感じられるようになった長男を見て、こちらが安心できるまでになっていました。
あの地獄のような日々を思い出すと今でも胸が苦しくなるときがあります。
よくここまで来てくれたなと。
8月の最終日、いつものように長男は出勤しましたが、すぐに家へ帰ったそうです。
もぬけの殻?っていうんですかね、誰もいない、何もない。
社長の夜逃げです。
給料が遅れがちなのは聞いていましたが、長男に聞くと最後に給料をもらったのが5月だと言います。
長男は何度社長に言っても聞いてくれないから面倒くさくなってもう言わなかったと。
遅れてでも貰えると、どこかで信用していたと思います。
結局3か月ただ働きという事実。
怒りで動悸がします。
そもそも私が紹介したので責任も感じています。
20年来の信用できる友人でした。
私自身もショックでした。
その後本人を労働基準監督署へ行かせたり、知り合いに電話かけて聞きまわったり、
会社が借りていた所の大家さん、社長の家、社長の別れた嫁の実家などへ足を運びました。
絶対とっ捕まえてやろうと色々手は尽くしましたが、今はもうやりようがないです。
全く有力な情報はありません。
ラインも既読が付かないし、電話も電源が入ることはありません。
知っているのは、福島出身で向こうには仲間が居る、実家の家族は皆亡くなってるということだけです。
それだけの情報でここ千葉県から追っかけていくわけにもいきません。
福島へ帰ったのかも分かりません。
長男の生活や支払い関係も大変なのですが、裏切られた絶望感は大きく、心に傷を負っています。
食欲が無いようで、またこもりがちになってきてしまいました。
会社は経営が行き詰まり、うまくいってなかったようです。
自宅が抵当に入ってると、元嫁さんの実家を訪れたときにそれを聞きました。
個人の小さな会社なので従業員は2名だけ。
もう一人の方も行方が分からいないと言っていたそうですが、その方は日払いだったため、給与は頂いていたそうです。
長男の気持ちを思うと、払えないにしても会社を畳むにしても、ただひとこと言って欲しかったです。
急に黙って消えるなんて卑怯すぎます。
そして今、出てきてきちんと謝って欲しいです。
長男が気持ちを切り替えて前へ進めるようになるまで、また見守りと応援の日々になります。
みんなが元気で笑顔でいられたらいい、穏やかに暮らせたらいいって望んでるだけなのに、簡単ではないんですね。