令和元年10月25日金曜日、台風21号より発生した前線が関東から東北の太平洋側で発達し襲った豪雨災害。
台風の当たり年だったような気がします。
あの日私は仕事で朝袖ヶ浦市へ向かいました。
土砂降りだったので、さっさと終わらせて帰ろうと考えていました。
しかし、昼近くになり来た道を途中まで戻ると、道路はたちまち冠水し、立ち往生する車、引返す車でごちゃごちゃになり始めました。
人生初めての水害に、段々恐怖と焦りでいっぱいの気持ちになりました。
先に見える赤い車は交差点で既に水没。
私は引返し、別の道を探す事にしました。
雨もどんどん激しさを増してきました。
どこへ向かっても先に進めず引返し、山の方へ向かえば崖崩れで通行止。
行くとこ行くとこどこもかしこも。
通れる道を探すのにとにかく必死でした
ホントに怖かったのは山道に入った時に濁流が、すぐ脇の崩れた大きな穴に向かって
滝の様に流れ込み、渦を巻いていた光景。
飲み込まれたら一巻の終わりだと思い私はひとりで騒いでいました。
境目のわからない道をとにかく何処かへ進ませるしかありません。
水没した車を横目に、前が空くのを見計らって一気に加速しました。
途中対向車のトラックから向かってくる波で車体は浮いても、アクセルを緩めずに。
止まったらマフラーに水が入っておしまいです。
助けが来てくれるなんて期待するのは無理な状況でした。
ケータイの充電も完全になくなり、誰とも連絡を取れなくなってしまい、恐怖と不安で泣きながら、とにかく帰ることだけを考えていました。
通れる道は限られていたので、遠回りをしながらやっとたどり着いた道は大渋滞で、時速100メートル位のスピードでしか進まず、気が遠くなりそうでした。
夜遅く何とか無事帰宅し、体の震えと脱力感がすごかったのを今でも覚えています。
生きてて良かったと本当に思った瞬間でした。
安否確認が取れない私を旦那さんがすごく心配していました。
会社は既に水没したと聞いていたので、近づく事は不可能でした。
逃げる事が出来なくなってしまったみんなが腰まで水に浸かりながらボートが来るのを待っていたらしいのですが、救助要請が多く来る事ができなかったそうです。
あとで見せてもらった写真には信じられない光景が写っていました。
景色は一変し、一面湖のように。
向かいの道は人がすっぽり埋もれてしまうくらいの深さでした。
夜になっても逃げ場がなく…
ネズミも廃油混じりの水に落ちない様、ゴミにしがみつき必死。
そして翌朝水は引きましたが、、、
事務所は水が机の上まで来てしまい、電話もパソコンも全滅。
預かった車も、
命があるだけ幸いですが、愛車も...
言葉が出ませんでした。
完全営業再開まで数ヶ月かかりました。
天気の良い日は、大切な書類を干して片付けてを毎日毎日繰り返し。
(これがなかなか乾かない)
この後、沿道からゴミの山が無くなるのに数ヶ月を要しました。
お客さんや災害派遣の方々の助けがあり、今は何事もなかったかのようです。
でもたまに大雨が降ると記憶が蘇ります。
それはきっとみんなもそうです。
これくらいなら大丈夫、なんて根拠のない判断は命取りになります。
実際何人もの方が亡くなりました。
災害はいつ自分の身に起こるか分からないって思い知りました。
せめて自分の居場所のハザードマップは一度確認しておくと少し安心かもしれません。
https://disaportal.gsi.go.jp/hazardmap/index.html