mimigah’s diary

明日に幸あれ

県立高校合格発表からの。

昨日は県立高校の合格発表日でした。

9時に発表だったので、夫が次男を連れて行き、その後合格したよと連絡が来ました。

「おめでとう、良かったね!お疲れ様。しばらくゆっくりできるね。」

「ありがとう。」

仕事中だったので短い会話でしたが嬉しさが伝わってきました。

何も言わずひとりでがんばっていたのを見ていたので本当に安心しました。

少し長い春休みがはじまります。

夜は文字がよく見えないので、持ち帰った書類を「日曜日に目を通すよ。」と言った私ですが、それでは全然遅かったのです。

夫が封筒の中身を確認すると、入学準備がいきなりタイトだということを知り焦りました。

1週間ほどの間に全て終わらせなくてはいけません。

 

我が家の上の子達の時は、制服やジャージの採寸、上履き、教科書等に至るまで全て学校に業者が集まり、一度で済んだ事でしたが、なんと今回は全てがバラバラ。

これはコロナ禍ということで、集中することを避けての対応と思われます。

しかも各々行って来いと。

制服は制服屋さんに採寸に行き、ジャージと体育館履きはスポーツ用品店、上履きは靴屋、教科書は本屋。ジャージについてはスポーツ用品店に事前に電話予約後行くようにとのこと。

 

学校への振込も早急にして、書類を郵送。行くところは全部バラバラ、日にちは無い。となれば土日に集中すること間違いなし。

 

運良く夫の休みが今日なので、次男の帰りを待ち大変そうなものから行ってくれるようお願いしました。

残りは私が日曜日に行くことに。

 

平日休めない親御さんにとってみれば、かなりの無理なスケジュールになります。

健康調査カードや家庭状況カードなど、記入する書類もたくさんあります。

 

なんでもコロナコロナって、それを理由に家庭側にずいぶんと負担を強いるもんだと思いました。

学校側は世話がかからなくていいかもしれませんが。

 

採寸と販売会を生徒の人数を区切り、日にちや時間を分けてやるなどし、対策をしっかりやれば不可能ではないはずです。

学校側の努力もちょっと欲しかったなというのが感想です。

そうすれば1回で1か所で済むことです。

他の家庭でも大慌てで対応していることでしょう。

そもそも試験結果が分かるまでも、今年はずいぶんかかりましたし、卒業式の2日前って・・

 

残念ながら試験に落ちてしまい私立高校を事前に受験しなかった生徒は、進路が決まらないまま卒業式を迎えることになります。

 

定員割れした高校の2次募集などがこれからあると思いますが、そんな生徒や親御さんはきっと気が気ではないので、少し気の毒に思います。

 

本当にあっという間の3年間でしたが、3年後もきっと同じように思うのでしょう。

3年という年月は確実に息子を成長させ、そして逞しくもしました。

 

私はこの3年でどれだけの成長があったのか・・?なかったのか・・?

 

明日の卒業式で私も、「何か」を卒業してみようかな。

 

 

親友

今日は日曜日。

このところ胃腸の具合があまり良くなくて、腰痛もひどく、なんとなく生命力が弱ってるようなそんな感じがしてました。

 

お昼頃いつも通りスーパーへ、夕飯の買い物も兼ねて長男(引きこもり)の食糧調達のため出かけました。

 

帰ってからノックし長男の部屋へ入りました。

すぐに食べられるようにと、おいなりさんとサンドイッチなどを持っていきました。

3週間ぶりくらいにかろうじて起きてる姿を見たので、少し話をしようと思いました。

何から話していいか少し迷いましたが、とりあえず近況を報告しました。

弟が明後日卒業式だということ。

そして春から高校生だということ。(言わなくても分かってるが)

私がもうすぐ何歳になるかということ。(そんなに?と思ったかもしれない)

父親が1か月の入院で体力がなかなか戻らないことなど。(あなたはどれだけ?)

強制するような言い方はしないように、私の思ってることを色々と素直に伝えました。

一方的ですがいつもより長く話せました。

家族であること、いつでも味方だし力になるということも伝えました。

 

「私ばかり話してるね、何か(言いたいこと)ある?」と最後に聞いたが、息子は首を横に振っていました。

私は散らかったペットボトルとゴミ袋を持って下に降りてきました。

 

日曜日は大河ドラマに備えて早めに夕飯の支度を済ませ、お風呂もいちばんに入るようにしています。

 

早々仕込み中、

ピンポーン!

郵便屋さんが書留を持ってきました。

友達のA美さんからでした。

中には桜の花びらが描かれたピンク色の便せんにきれいな文字で「ご主人退院おめでとう。」から始まるお手紙が入っていました。

それと1万円が。

 

ちょっと心が弱っていた私は涙が出てきてしまいました。

忙しくて、なかなか会えずにいましたし、私の性格を知ってかすごく心配してくれているようでした。

 

彼女は長く勤めてる今の会社ですごく人望があり、たくさんの部下をまとめながら、面倒見がよすぎるので倒れてしまわないかと心配になるくらいよく働きます。

もちろん家庭もあり、二人の娘や孫たちの面倒もよく見ます。

実家の両親や、姉の病気の娘の面倒までも積極的に見るような逞しい女性で、私からすると憧れのスーパーウーマンのような人です。

 

仕事もプライベートもどれだけ苦労してても、みんなの前ではいつも笑顔でふざけています。

おっちょこちょいで、たまに心配になるほど天然なところもあります。

だけど私には敵わないくらい心が強いのです。

本人はそう思ってはいないと思いますが、執念深さのようなものと芯の強さがあって、曲がったことが許せなく、ものすごく情が厚くて優しくて、そうゆうところが彼女を受難者にしてるなと昔から私は思うことがありました。

人が困っていると一緒に悩み、悲しんでると一緒になって泣くような人です。

時に部下のために、他の人に食って掛かるようなこともありました。

味方が多いのですが敵もいます。

それだけ自分を持っているということですよね。

ついでにすごく美人です。

 

争いごとが嫌いで、みんな仲良くしようよって考えの私はどちらかと言えばいつも八方美人の八方塞がりで、自分が嫌になることさえあります。

彼女は私の親友であり、尊敬できる先輩です。

 

忙しい彼女に遠慮して電話もあまりしませんでしたが、今日はすぐに連絡しました。

いちばん話したかった長男のことをいまさら初めて話しました。

いい会社に入れて、今頃頑張ってるのかと思ってた、と驚いていました。

それから彼女も誰にもわざわざ言わなかったけど、と娘さんの事で大変な思いをしていた事なども聞きました。

 

色々話してるうちに涙が止まらなくなりました。

 

他の人と話しても感情的にならない私ですが。

本当に気持ちを分かってくれる彼女と色々話せたことで、なんだか気持ちが軽くなり少し元気になれました。

 

家はそんなに近くはありませんが、週末とか時間が許すならいつでもおいでよと言ってくれました。

ひとりで抱えちゃだめだよと言われました。

 

彼女のような存在がいてくれて私は幸せです。

 

私も誰かが困っていたら、そんな時こそ寄り添い、力になってあげられる強さと優しさを持ちたいと心から思いました。

 

 

 

ウクライナ 私ができる事

 

連日ウクライナとロシアの情勢が報道されています。

仕事中もネットニュースなどで動向を見ています。

犠牲になってしまった人達、特に小さな子供達や家族が亡くなり残された人達の事、生活を失ってしまった人達の事、恐怖に怯えながら眠れない夜を過ごす人達の事を思うと胸が痛みます。

なのに何も出来なく、いつも通りの日々が過ぎていくだけの自分の時間が不思議にすら感じます。

 

私は何も不自由していません。

美味しいご飯を食べています。

晩酌もしています。

暖かい布団で安心して眠ります。

 

気の毒に思うだけで何も出来ない自分がちょっと嫌になり、ただ悲しむだけの自分にがっかりすらします。

何の力もないんだから仕方ないけど。

私にできる事は正直ほぼありません。

心は共にって思ったって、私しか知りません。

せめて何ができるのだろう。

 

せめて私ができること。

それでも今を大切に、明日会う人に親切に、絶望せず笑顔を忘れずに、結局それしかない。

現実をしっかり見据えて、私なりに受け止めて、今日できる精一杯のことをしていく。

 

それだけです。

 

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小さくてもひとりひとりの気持ちが大きな力に変わりますように。

 

卒業式のスーツ

無事2日間に渡る公立高校の入試が終わり、親子共にホッとし、あとは結果発表、卒業式と続きます。

春は行事が多いですね。

 

卒業式も近いので、長らく着てなかったスーツにカビが生えてないかチェックしようと、寝る前にクローゼットから引っ張り出して、ついでに試着してみることにしました。

 

3年前の中学校入学式のと同じスーツです。

パンツを履いて嫌な予感が・・

チャックが上がらなくなっていました。

 

何となくここ半年くらいで、多分ホルモンバランスの崩れだと私は思っていますが、腰回りに急にお肉が付きはじめた感じはしていました。

 

とりあえず他にもスーツはあるので端から試着することにしました。

悲しいことにどれもこれもだめで、お腹を凹ませて唯一履けたパンツスーツが一着ありましたが、それを見ていた旦那は大笑いです。

「それ、座れないだろ。笑」

現実を目の当たりにし、昨日はかなりショックでした。

 

旦那も式には出席する予定なので俺も!と着替え始めました。

それも入学式の時のスーツです。

「こんなにガバガバだよ〜、ベルト無いと落ちちゃうよ〜。」

嬉しそうに困る旦那にイラッとしました。

病気で痩せたくせにとは言いませんでしたが。

 

そうゆう訳で今日は急遽イオンモール成田へ。

暖かく春らしい陽気でした。

時期なのでフォーマルなスーツがたくさん並んでいました。

どれもこれも素敵でした。

色々と見て回ってくたびれてしまいました。

 

結局スーツを買うのはやめました。

なんかもったいないなと思い、式まで何日も無いけれど、出来る限りお腹を絞りつつ、もう一度クローゼットを見直してみようと思いました。

あくまでも主役は子供ですから、息子にお金がかかるのにもったいなくなってしまいました。

最悪もう一回日曜日があります。

 

久しぶりのイオンで欲しい服とか雑貨とかありましたが、結局今日の収穫はコレ。

 

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これウチの近所では無いやつです。

迷わずカゴに入れました!

そしてコレ。


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大好きなおやつです^ ^

美味しいんです♫

 

それとたまにはと、夕飯の惣菜を買って終わりにしました。

何しに行ったんだろうって休日になりました。

こんな日もあります。

 

日曜日の日記でした。

 

 

 

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カーリング女子!

今週のお題「冬のスポーツ」

 

冬といえば雪上、氷上のスポーツがたくさんありますね。

 

冬のスポーツの思い出といえば、初めてアイススケートをしたのが小学校3〜4年生頃です。

ローラースケートが当時流行っていて、その延長で、隣町までよく電車に乗って友達とスケート場へ出かけました。

そこでは綺麗な衣装をまとい見事に回ったり、ジャンプしたりする小さなフィギュア選手達も練習を行っていました。

私は上手くなりたくて、その子達の真似をしてクルクルと回ってみたりしたものです。

 

そして初めてのスキーは中学1年の時のスキー教室です。

学校で希望者のみの参加で、埼玉から越後湯沢へたしか2泊3日の旅行でした。

初めての経験に夢中で、集合時間時間ぎりぎりまで滑っていたのを覚えています。

2年の時は思いっきり転げて手を捻挫し、すごい腫れた記憶があります。

友達はリフトから落ちて脚を折ってしまい、もっと災難でした。

 

でもスキーはそれが最後で、以降ウィンタースポーツをやる事は二度とありませんでした。

スノボもやってみたいと思ってるうちに機会がなく、今からじゃもう出来ない年齢になってしまいました。

気付けば、骨折しないように気をつけなきゃいけない年齢です。

やりたいと思ったらやっておかないと必ず後悔しますね。

 

そんな私が前回の2018年の平昌オリンピックから面白くて、夢中になり観ていたのはカーリングです。

それまでもカーリングは見た事はありましたが、正直あまり興味はありませんでした。

 

news.yahoo.co.jp

 

ロコ・ソラーレの彼女達の魅力によってカーリングに興味を持ち始めた人達もいるのではないでしょうか。

何といっても、あの明るさと前向きさとチームワークの良さ、そしてオリンピックという世界の舞台においても普通の女の子と変わらない素顔、けれどその裏に見える強さが彼女たちの魅力だと思います。

 

試合中の声の掛け合いや、くだけた会話がマイクを通して聞こえるのも親近感を感じられ、応援したくなる理由かもしれません。

そして5分間のもぐもぐタイムも、イチゴや羊羹などを頬張る姿が可愛らしいですよね。

そして今回のオリンピックも素晴らしい活躍でした。

 

カーリングはシンプルだけど逆算のスポーツとも言われるだけあり、戦略的で奥が深いところが面白いです。

知ったかぶってますが、完全にルールをまだ熟知出来てはいません。

でもやってみたいなと思える競技です。

 

実際にやれるとしたらNinntenndo Switchの「みんなのカーリング」くらいでしょうけども。

 

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こらからもロコ・ソラーレの活躍から目が離せません。

 

以上、私の好きな「冬のスポーツ」でした。

 

 

夫の退院

家族からすればあっという間、夫自身からすれば長かったであろう1ヶ月近くに及ぶ入院生活がようやく終わり、晴れて退院の運びとなりました。

 

腎不全・心不全のため透析を行ってきた夫ですが、ここから薬だけでの治療となりホッとしています。

薬が大量すぎて訳がわからなくなりそうなので100均でピルケースを買い、仕分け作業をしていたそうです。

食前食後・朝昼夜それぞれ違うので大変そうです。

この錠剤以外にも不味いゼリーのような薬もあります。

 

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よって、シャント(透析をしやすくするために腕の動脈と静脈を繋ぎ血管を太くする手術)はひとまず行わないことになりました。

 

いずれは透析になるだろうとの医者の見立てですが、腎臓の機能は今はギリギリ保たれているようです。

いかにそれを先遅りされられるかが課題です。

食事には今まで以上に気を使わなければいけません。

時間の限られた中、私にとっても家事のハードルが高くなりましたが、そこは色々と試行錯誤していくしかありません。

 

が、もう家に帰れるのが嬉しくてたまらない夫はテンションが上がりまくりです。

久しぶりの外の世界に触れ「やっぱシャバの空気はうめぇ!」とはしゃいでいました。

 

帰りにスーパーに寄りましたが、弁当・惣菜コーナーに差し掛かると、端から食い入るように眺めていました。

何もかもを食べたそうな顔をしていました。

そこはもうぐっと我慢しなくてはいけません。

というか、見なきゃいいのに。

 

入院中から食べたいと言ってたアジフライを買ってあげました。

揚げ物はコロッケ以外は大丈夫だそうです。

ソースはかけずに少量つけながら。

 

私たちが目指す(高たんぱく低カロリー)ではなく(低たんぱく高カロリー)が良いのです。

かと言って同じ物を今までのように大量には食べられません。

腎不全の食事において大事なのは、塩分・タンパク質・カリウム・リンのコントロール

あとは本人の水分摂取の管理です。

一度に同じ物を多く摂らず、色んなものをちょっとずつです。

体重の維持も必須です。

 

家に帰ってからが私にとって辛い時間の始まりでした。

夫は入院中の出来事を私に聞いて欲しくてたまらなかったようです。

病院食を毎日毎食分写真に収めていた夫。

まずそこから事細かに話し始め、一方的なマシンガントークが夜まで続いたのです。

「それ聞いたから。」って言いたいのを我慢して付き合ってあげましたが。

辛かった思い、口に合わずにほとんど食べられなかった病院食、同じ病棟のお爺さん達のこと、色々と気持ちを分かち合いたかったようですが。

さすがに、最後は私の「もういいよっ!」で終わりました。

 

生検も含め色んな検査の結果、遺伝的なものは検出されず、息子への直接的な心配はなくなり、胸を撫で下ろしました。

 

今回の病気の原因は若い頃から高血圧を放置し、食べたいだけ食べ、好きなようにやってきた完全にそれのツケでした。

高血圧を甘く見ると本当に怖いです。

 

脳の検査もして、そちらは大丈夫でしたが、脳梗塞などになる危険性もあったということです。

 

なんと言っても今働き盛りです。

あまりにまだ若いです。

さすがに今回の事で夫は懲りたようです。

 

避けられない病気もありますが、防げるものもあります。

家族の中に一人でも病人がいると周りは大変ですよね。

 

もし自分が倒れたら…と想像したら、とても不安になりました。

きっと我が家が回らなくなってしまいます。

私が一番倒れちゃいけない人だと思いました。

身体はあちこち痛いしガタは来てますが、幸い風邪すら何年もひいてませんし、そうゆう緊張感は保っています。

 

良くなるのも悪くなるのも日々の小さな積み重ねだと思います。

つくづく思い知りました。

普段から自分の身体と、ちゃんと向き合うことが大事ですね。

 

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そして、今夜は仕事から帰ると散髪してサッパリした夫が「キムタクみたいでしょ?」「めちゃくちゃかっこでしょ!」と、台所でご機嫌にハンバーグを作っていました。

 

明日からの久々の出勤を前に何だかやる気満々な様子の夫なのでした。

 

 

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今週のお題「復活してほしいもの」

 

最近は新しいアイドルグループやアーティストさん達が次々と世に出てきてますが、いつの間にか自分が古い人間になってしまったというか、そういうものにすっかり疎くなってしまい、誰が誰だかよく分からなくなってきてしまいました。

 

私が中高生の頃、アイドルグループといえばおニャン子クラブくらいしか記憶になく(他にもあったかもしれませんが)、テレビの音楽番組にはまだ聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョン、みぽりん、荻野目ちゃんとかが出ていました。

 

一方、あの頃世の中はバンドブームで盛り上がっており、私はそちらの方が興味があったので友達と決まって日曜日に朝から西武池袋線に乗って、山手線に乗り換え原宿へ遊びに行ったものです。

代々木公園のあたりは日曜日になるとアマチュアバンドで賑わっていました。

 

メジャーなところで当時私が好きだったのは、PERSONZとか(ボーカルのジルがかっこいい)、(まだJAPANは付かなかった)、RCサクセションブルーハーツBUCK-TICK etc。

代々木の野音REDWARRIORSとか爆風スランプUNICORNなどが出ていたライブも見に行きました。あぁ懐かしい。

 

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当時バンドを組むのが流行っていました。

コピーバンドと言えば圧倒的にプリンセスプリンセスとBOØWYが人気で、もれなく私も友達と盛り上がりバンドを組み、中山加奈子になりきろうと、ギターを買いましたがいつの間にか熱も冷め、リサイクルショップに売りに行った記憶があります。

今もそうですが、その頃もつくづく飽きっぽかった(~_~;)

 

地元のライブハウスにも知り合いなんかが出ると、チケットを買って見に行ったりもしてました。ライブハウスも今より多かった気はします。

 

自分でやるより見る専門でいいじゃんと開き直ったかは覚えてませんが、原宿のホコ天歩行者天国)ではアマチュアバンドのライブをあちこちで見ることができるので、それが楽しみでした。

多分あの雰囲気が好きだったんだと思います。

 

少人数だけど熱烈なファンにいつも囲まれているバンド、誰にも立ち止まってもらえないけど声を張り上げてる人、ビジュアル系の人、独特な世界感と個性を放つ人、それぞれ異色同士が同じ路上という舞台で思い思いに歌い、演奏する。

あそこを歩いていると感じられる、あの独特な熱気みたいなのが当時の私には居心地がよかったんだと思います。

 

その頃ライブやファッションに何かとお金が入り用だった私と友人は、無謀にも立ち並ぶテキ屋のおじさんに、日曜日だけバイトしたいと申し出ました。

あっさりOKをもらい、しばらく日曜日だけ代々木公園で友人はお好み焼き、私はたこ焼き担当になりました。

それも又いい思い出です。

楽しかったです。

たこ焼きを焼く腕前も最後はプロでしたね。

 

さて、前置きが長くなりましたが「復活して欲しいもの」、それはたしか土曜の深夜にやっていた番組、三宅裕司の『いかすバンド天国』です。イカ天です!

三宅裕司相原勇の司会進行で、アマチュアバンドが出てきて前回のチャンピオンに挑むのですが勝った方がキング(イカ天キング)になるわけです。

5週連続でイカ天キングを防衛するとメジャーデビューが約束されるという、毎週どんなバンドが出てくるのかわくわくし、突然出てきたすごい才能に驚いたり、毎週とにかく楽しみに見ていました。

 

この番組には原宿のホコ天と共通するものがありました。

 

中でもあれは衝撃だったなというのは、たまBEGINです。

それぞれに素晴らしくて大好きでした。

マルコシアス・バンプとかJITTERRIN'JINNFLYING KIDSKUSU KUSU風来坊なんかも凄くよかった記憶があります。

 

今でも活躍されてるイカ天出身のバンドの方たちもいらっしゃいますよね。

他にも思い起こせば、あー良かったよねーってのはあると思いますが、なんせ30年以上も前のことなので記憶も曖昧なところはあります。

とにかく出場したバンドはかなりの数でした。

ものすごく個性的なバンドから実力派まで多種多彩で、まるで多国籍料理を一度に味わえるような番組だったような気がします。

 

あんな夢や可能性でいっぱいの興奮する番組はなかなか無いと思います。

今は時代も全く違いますし、同じようにはなるはずはありませんが、『復活・令和版イカ天』も面白いんじゃないでしょうか。