我が家の子供達は記念日だからといってプレゼントなどをくれたりするたちではありません。
皆シャイな性格ですし。
あらたまる感じが苦手ですし。
小さい頃は可愛いお手紙や折り紙をくれたこともありましたが、それで十分でした。
先日東京へ行く事があったので、忙しくて実家に戻れないという娘に会ってきました。
二年ぶりくらいです。
旦那さんと次男と私がいる靖国神社まで来てくれました。
変わらず元気そうで、久しぶりに会う娘はなんだか輝いて見えました。
充実してるんだなって分かりました。
いきなり、「もうすぐ誕生日だし母の日だからこれ。」とCHANELの紙袋を渡されました。
えーーー!!
顔見れただけでも感激なのにプレゼントまで用意してくれたのね(涙)
ちゃんとプレゼント買ってもらったのは初めてですし、驚きでした。
モノは何であれ、嬉しかった。
すっかり大人になって・・・(涙)
「アタシが使ってるヤツなんだけど、良かったら又買ってあげるから使ってみて。」と、たんたんとした感じで言いました。
言い方が娘らしい。
「うわぁ!使うよ〜使うよ〜!わるいねぇ、こんな高級品。嬉しいよ、ありがと〜ありがとうね〜⤴︎⤴︎⤴︎」と、私そんな感じだったと思います。
みんなでお昼を食べた後、一緒に神社の中を散策、木陰のベンチに座りながらしばらくおしゃべりし、記念に写真をパチリ。
ひきこもりの長男(弟)のことも姉らしく気にかけていました。
2時間ちょっとで物足りなかったけれど、「今年のお盆はなるべく来てね。」と伝え握手して別れました。
本当ならハグしたかったけど、お互い照れ臭いので。
久しぶりの細くて柔らかい娘の手の感触に思わず涙が溢れてきましたが、気付かれないようにしました。
そんな私です。
いちいち涙ぐんで、なんか私年寄りみたいね、と自分で思いました。
ちなみに10年前に一度、娘が高校1年生の時に母の日にカーネーションの絵を描いてくれたことがありました。
「花買うお金無かったから。」と。
これも娘らしい言い分。
照れ隠しみたいな。
この時もめちゃくちゃ嬉しくて、今でも額に入れリビングに飾ってあります。
その絵がこちら↓
小さい頃から絵を描くことが大好きで、もちろん今でもコンピューターではありますが、絵も描きつつ、フリーでモーションデザイナーという仕事をしています。
フリーになる前にはポケモンのゲームアプリの制作にも携わり、スタッフクレジットに娘の名前を見つけた時は、本当に嬉しくて周りの人にゲームアプリのインストールを薦めたりなんかしてました。
夢を叶えるために18歳で家を出てから、親を頼らないようにと必死に頑張ってきたのを知っています。
昔から親子でぶつかることがいちばん多かった娘。
紆余曲折あり、思い出すだけで涙が出てしまうような出来事がたくさんありましたが、今はやりたいことをやりながら、まだまだ夢を追い続けているんだなって思います。
とても誇らしいです。
小さな頃から「○○ちゃんね、大きくなったら絵描きさんになるの。」といつも言っていたのが愛おしく、懐かしい。
娘が小学校3年生の時、親の身勝手な理由で離婚し、いきなり転校させられ、慣れない環境の中、自分の事で精一杯なはずなのに、幼稚園児の弟の面倒をよく見てくれていました。
保育園の年長さんは待機状態で、幼稚園に通わせるしかありませんでした。
仕事を途中で抜け出し長男をアパートへ置いて、心配でしたが「お姉ちゃんが帰るまで待っててね。」と言い、すぐ職場へ戻る感じでした。
子供達との生活のために稼ぐことに必死だった私は、仕事から帰るのが遅くなりがちで、娘はご飯を炊いて、弟をお風呂に入れて頭を洗ってあげ、私が帰宅するころにはご飯のおかずだけ作ればいいようにしておいてくれました。
小3の子がです。
この話は前に娘にしましたが、幼かった上、本人も必死だったのでしょう、あまり記憶にないと言われました。
育ち盛りでお腹も空きます。
当時おやつもあまり買ってあげられなく、学校から帰ると娘はすぐにご飯を炊き、白いご飯だけをひたすら何杯も食べて空腹を癒やしていました。
玄関を開けると子供達は空腹と眠たさで、力なく床で倒れ込んでいた時もありました。
ひどい母親と自分を責めました。
あの頃は小さな娘に頼るしかなく、その頃のことを思い出すたび申し訳なかったし、切なくて今でも涙が出てきます。
今、娘は強く、とても優しい女性になりました。
親のせいかも知れませんが、「私、結婚もしないし子供も産まないよ、孫とか期待しないでね。」と私に言います。
いいよ、自分を大切に、好きに生きたらいいよ。
いつまでも貴方らしく自分のやりたい事をやり抜いてね。
生まれて来てくれてありがとうって言いたいけど、照れ臭くて言えなかったな。
いろいろごめんね。そして本当に、「ありがとう。」